矛盾

「寄付は偽善だ」と書いていた人がいる。その通りだと思った。

「とりあえずやっておこう」「みんながやるから」と本心からでなくやる人がいる。「慈善心がある人に見せる」という計算ずく人もいる。「お金があるからやるんだろう」と寄付をする人を暗に指差す人もいる。

彼らを非難できるだろうか?ぼくはできない。

毎月11日に我がギャラリーで開催する『ぐるっとブレスレットワークショップ(手づくりして被災地に寄付をする)』をなんで続けるんだろう?と毎月疑問に思う。「寄付だけでなく手づくりをすると楽しい」と説明するけれど、それは寄付なのだろうか?手づくりイベントに参加するだけの人もいる。さらに「ギャラリーの販促のためにやっていないか」と自問すると、正直“100%潔白”ではない。

自分の心の中にも偽善が潜んでいる。偽善という自己矛盾がある。

もっとも「寄付は偽善だ」と書いた人は、続けてただお金を渡すのは意味がない、どう使われるかわからない、それより「働くきっかけを与えなさい」「収入が安定するか教えなさい」と言っている。これも正しい。だが現実にはぼくにはできない。たぶん多くの人にもできない。

それもこれも含めて思うのは、人間は常に矛盾をはらんで生きているのだということだ。

心と口が違うこともある。おべんちゃらを言いつつ不平不満を言う。やっちゃいけないことを止められなくてやり続ける。死にたくないのに死ぬ死ぬと言って生きる。そんな“自己矛盾体”が人間である。

だが、だからこそ人間は矛盾と戦うのではないか。矛盾する心を持つからこそ、善き心になろうと戦うのではないか。自然破壊は良くないと言いながら「人間の便利な暮らしのためには仕方ない」と言う。これは矛盾している。でもそれだから人間なのではないか。

「寄付は偽善」は正論である。でも正論だから「寄付しない」と決めつけないで、「なんで寄付する人もいるんだろう?」「何と戦っているのだろう?」と考え続けることは必要である。

こんなことがあった。人身事故で列車遅延があった。ぼくは思わず口走った。「この時間帯に迷惑だな」すると知人は言った。「死んだ人はどんな思いで死んだのか想像できますか?」死を選んだその人の苦しさに思いがよらなかった。矛盾する心を正しながら生きてゆく。

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ぐるっとではブレスレットだけでなく「ネックレス」「ストラップ」も作れます。1月11日の日曜日は12時から18時まで。

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