お茶入門

一年を締めくくる本として『入門必携』を読んだ。

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財団法人今日庵が編纂した茶道の入門書。奥付には昭和45年に改版発行とあるので、古いものではあるが、千利休を開祖とする16世紀来の茶道の歴史から見れば、茶匙一杯のごとくである。

ぼくは茶道には疎い未経験者である。鼻で茶も沸かせない鼻炎症である。ゆえに本書の理解は初摘みの新茶よりもずぅーっと浅い。だからこそ興味をもって読んだ。3つほど気になったところを紹介したい。

まず『茶とは何か』。利休は「茶は渇を医するに止まる」と喝破した。意味は喉が乾いたから飲むだけでなく、渇く心に潤いを与えるという。

それで思い出したのは剣豪宮本武蔵である。決闘の後、茶人本阿弥光悦と出会い、野で茶を頂くシーンがある。人を殺して血まみれの武蔵に茶が潤いを与えた。どんな野蛮人にも茶は平等。それを本書は「茶は自己錬磨と相互尊重の精神」と表した。

次に『わび茶』である。よく“簡素簡略の境地”と言われるが、ちっともわからない。本書には新古今集から句を挙げて説明する。

花をのみ侍らん人に山里の雪間の草の春を見せばや

花ばかり待ちわびるのではなく、雪の間に顔を出す草に春を感じなさい。なるほど…それで“庭の枯れ葉を掃き清めた後に、わざと枯れ葉を数枚散らした”という利休の故事を思い出した。枯れ葉がある方が自然だというのだ。

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もっとも心に残ったのは『懈怠比丘不期明日』である。利休の孫の千宗旦が新しい茶室を作り、茶室の命名をお願いするため僧侶を呼んだ。だが待てども来ない。仕方ない、ワシは出かけると宗旦が出かけると、午後になって僧がやってきた。宗旦の弟子が伝言を伝えた。「明日もう一度、出向いて頂けませんか」。すると僧はひらりと壁に向かって一筆書いた。

「懈怠比丘不期明日」(遅刻する怠け者が明日のお約束などできません

帰宅した宗旦がそれを読み、師への不遜を恥じ、すぐに僧のもとに参じて詫びた。そのときの句が次。

「今日今日と言いてその日を暮らしぬる 明日のいのちはとにもかくにも」(明日生きているかわからないのに、今日をおろそかに暮らすのは愚かでした

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そこでこの茶室は「今日庵」と名づけられた。

本書を一読してお茶とは「今の心を研ぎ、また癒す瞬間をつくり、自然になること」だと思った。明日大晦日は一年を振り返り、来年に「私の今日庵」をどうつくるか考えたい。

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