願いごと

運勢占いは年をとれば信じなくなる。だが幾つになっても、どんなに悲しくとも、明日の幸運を信じたい。

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ネットの占いバナーをクリックするお年頃ではない。あほっぽい(笑)。でも年末年始ですからレジャーみたいなもんと割り切って、やりますか。せめて神社でおみくじでも。

そういえば初詣の神社は決めていなかった。住む町の近在を探すと二つあった。ひとつは「気心が合わない」神社だった。大きな立派な地所だが、その周りの塀からして拒絶されているようで、中に入れなかった。ぼくは根が貧乏性なのだ。

ネット情報によればもうひとつある。遠い徒歩圏にある祠(ほこら)のような小さな神社のようだ。片道20分以上歩いたがそこにあるはずの神社は無かった。どうやら近年建てられた老人ホームの駐車場の下になったらしい。

ゆえに最近は神社にお参りすることもなく過ごしていた。

ふと、仕事場近くの神社を思い出した。ビル街の迷路の奥の神田の神社である。小さいが、近隣の料理屋の人が手入れが良くされている。久々に参りたいと思ったら、あそこで祈った願い事を思い出した。

願い事は心から「そうなってほしい」と日々、念じたことだ。手を擦り合わせて「そうなるように精進し行動します、見守ってください」と念じた。木陰から太陽がのぞくと「いける」と思った。思い熱い日々だった。

そうだ、どこか神社に行こう。

今の住まいは隣市との境界線に近い。隣市の神社まで調べなかった。さっそくGoogle Mapで調べると近所にあるじゃないか。コートを羽織って速足で出かけた。

着いたのは民家の横にある小さな神社である。江戸から明治にかけて盗賊に襲われ続けた村人が建立したと記録にある。掃除はされているようだが、手水舎には水が張られていない。社もそれなりに荒れている。とにかく手を合わせた。振り向くと一本の木がそびえていた。

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枝葉は失われ、木肌はむきだしに、風にしなり、それでも空を目指して生きる。群れから離れてなんとか立っている。自分みたいだ。

こんな木、誰か好きになってくれるのだろうか。抱きよせてくれるのだろうか。孤独を慰めてくれるのだろうか。せいぜい焚き木につかってもらえるように、生前から身を乾燥させておこうか。こやつにもう一度、緑の葉をつけさせ、花を咲かせてやりたい。なんとかして…

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