叙情的リケジョへの伝言

文系と理系の違いってなんだろう。物理と数学が超苦手のぼくが答えられっこない。でもひとつ思い浮かぶのは“叙情”である。

たとえば医師は原則的に理系である。だから「あの医者、人間味ないわね」とか言われるのだが、時に「文系的な理系」もいる。仕事で文芸や音楽に通じる医者に何人も会った。観察対象としておもしろく、人生も波乱万丈に書きやすい。

だが仕事の中心はあくまで理系。手術の最中に「切るべきか切らぬべきか、それは問題だ」と唸られても困るのだ。スパッと科学的実証的に「3つ癌があるなら切る。4つ以上は切らない」と迷いなくやってもらいたい。

そこで文芸的文系のぼくは、彼らの成り代わって『ドクターX』的効果を出そうとして、つい修飾語を書くのだ。先に入稿した原稿でも、インタビューした医師=理系とぼく=文系で、おもしろい“対話”ができた。

話のクライマックスで、恩師と弟子(その医師)の感動のシーンがある。ぼくは効果を強める修飾語を挿入したかった。具体的には(とっちゃったので書いてもいいだろう)「ゆっくりと登壇し」という8文字である。

登壇するのは恩師である。その8文字のためにぼくは散々調べた。だが何も確証ある事実が出てなかった。弟子も「こんなことがあった」と淡々と語るだけで、気持ちも語らない。恩師の気持ちもわからない。わからない場合は入れないのだが、事実だけではどこか空白感があったので、つい8文字の叙情を入れた。すると…

校正でその医師は8文字を削ってきた。事実ではないからだろう。

きっぱりした彼は、確証がない手術はしない。まだ安全性が極められていない腹腔鏡手術もしない。叙情を差し込む余地はない。だから安心してまかせられる。

ところが「叙情的リケジョ」もいる。

最初に小保方氏を見て、なんで割烹着なんだろう?と思った。科学者ぽくない。すると論文を読んだ科学者達が「ずさん」と次々に断じた。虚言症だろうか。さらにあの♡マークの実験ノートである。さらにさらに、今日発表の退職挨拶文の「今はただ疲れきり」「困惑している」「魂の限界」である。実に文系である。皮肉ではなく表現が豊かで、叙情がある。

だが科学は論理的実証的であってほしい。叙情的修飾は文系ライターにまかせておけばいい。医療は患者の生命に関わる。そこに飾り言葉はいらない。

IMG_4815  空は叙情に満ちている…

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