無理しなくてもいいんだよ。

「極意は“力を抜く”ですね」とある外科医は語った。力を入れずに“切る”ーそれが名人だという。

昨日のエントリーで「刃先に力を集中させる話」を書いた。腕、手、切断器具をひとつにする心境で刃の先端に力を集中させる。だから切れる。さらに別の外科医が、“力を抜くことですね”と語っていたのだ。集中と脱力の極意を重ねてみよう。

どれだけ力を抜いて、同時に、力を一点に絞れるか。

これが「切るの本質」なのであろう。いかに力を抜きながら入れられるか。これは切ることだけでなく色々な局面にも通じるものがある。芸術作品はまさにそうだ。

描き込みすぎた絵は、見る人が入り込めない。絵と共鳴できる隙みたいなものが大切である。狙いすぎた写真よりも、一瞬の偶然を切り取った写真の方が、いつまでも眺めていたいものである。完璧な形状の器よりも、どこか作り手の呼吸でへこみがあるような焼き物の方が愛着がある。

音楽はもっとわかりやすい。「ヒビの入った骨董品」と言われたホロビッツの情緒あるショパンはまさに力を抜いている。フジ子ヘミングのカンパネラもスカスカに抜けている。ジャズシンガー、永眠したエイミー•ワインハウスはワインで酔っぱらうほど脱力して歌っていたが、ある瞬間に歌の先端が迫ってきた。突き刺された。

普通の仕事にも通じている。新人のガチガチの仕事は微笑ましいけれど、それだけだ。ベテランのお客の心をつかむ硬軟とりまぜた仕事には勝てない。どこか力が抜けている方が個性が際立ち、ウケる。

人間関係も力が入り過ぎるとつらくなる。

例えば仮面夫婦である。お互いに本性を見せず、表面上は仲良く過ごしている。だが年を重ねるとやがて仮面がカサカサになる。ピチっとヒビ割れる。むき出しの本性にお互いがびっくりする。

だからと言って脱力して嫌な本性までいつも見せ合えばいいわけじゃない。パートナーの前では、いつまでも男であり女でありたい。力を込めてお腹を引っ込めておきたい。

それより、相手の世界を認めることである。それには「オレはオレは」「あたしはあたしは」を止めないとならない。相手の世界が見えない。主語の力をさらりと抜けばいいのだ。だがどうしても仮面が脱げない人間関係はどうすればいいのか?

「もう無理しなくてもいいんだよ」

力を抜いて別れる。それもまた力のいることである。

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梅昆布茶で脱力…-^^-

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