技を超えた何か

プロの技とはなんだろうか。下手ゆえにハラハラさせないことである。だが上手ゆえにドキドキしないのもだめである。

ある発表会を聴いていた。プロもいれば修行を始めたばかりアマチュアの人もいる。その中間の人もいる。そんな出演者が混ざった会である。最初の方々が、正直、アマチュアばかりだった。ひと言でいえば下手。あ…オチないかなあとハラハラした。なんとかもったねえ、よかったねえ…という具合なのである。

持て余したぼくはポツポツ考えた。プロとアマの違いってなんだろうと。それは技、テクニックにあることは疑いようがない。

観客をハラハラさせないこと、気持ちよくさせること、のらせること。それを実現するのはやっぱり技量であり、経験であり、そこから生まれる舞台慣れとでもいうのだろうか。観客をつかむ雰囲気というのだろうか。多年の稽古で身に付く安定感である。

だが一方、安定しては並になる。プロだからこのくらいは聴かせてくれる。観させてくれる。期待を裏切らないことは大切だが、安心させてそれだけで終わり。そんな技だけのプロもまたたくさんいる。うーむ…ではなんだろうと腕を組んで考えていると、迫ってきた出演者がいた。

鳥肌が立った。観客の注目を一身に浴びて、情感をかき立てていった。せりあがる大波の高さまで持ち上げて、そして静かにおろしてくれた。優しく力強い何かで包んでくれた。声が出せなかった。そんな出演者はプロを含めて、この人だけだった。

技はある。安定もしている。だがそれを超えたsomethingがあった。それが胸に入ってきて内側から鳥肌をかきたてた。

somethingとは何だろうか。他のアマやプロを聴いて思ったのは、「すべて」という答えだった。

歌にはサビとか盛り上がる部分がある。曲のプロモやCMソングはそこだけ聴かせる。舞台でも「その部分だけ上手い」人がいる。特にアマはそうだ。タレント歌手のほとんどがそうだ。

だが表現芸術とは、すべてで感じさせるものだ。曲なり歌詞なり演奏なり、ひっくるめてひとつのアートである。サビだけで名曲にはならない。歌う人もまたすべてを包み込み、表現しきれる大きさがないと伝えられない。

技を超えたところにある何かーそれこそ器である。我もそれを求めん。

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「そうだろう?」「にゃあ…」

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