心の裏側が汚れているんだな(上)

ひと言が案外堪える。言うのも堪えるし、言われるのも堪える。生きる上で避けられないことだけど…

「書くのは体力使わないですよね」「書くのって楽でしょ」

続けてそんなことを言われた。うーん…ホントのプロはそうかもしれない。だが丸谷才一は野良仕事で体力を養い、村上春樹もジョギングをする。大作家と比べても仕方ないが、あんがいこんなブログでさえ脳を使う。書いたら疲れる。「自宅でライター楽々お仕事」なんて広告にはホント呆れる。拙文もまったく読んでくれないのに「いいね」されるとドッと疲れる。反論すれば残らないが、ひと言が積もることもある。

逆に言ってしまうことも多々ある。

電車の車両で咳き込む人が増えてきた。風邪っぴきなのにマスクもせずに咳をする人は迷惑である。「絶対に仕事を休まない自分に厳しい医師」が、科員に「咳するひとがいたら車両を代えなさい」と言っていた。それを知人に伝えたら、「あたしはいつも咳するから敬遠される方ね」と言われてしまった。あ!そうだった…気管支が弱かったんだ…。図らずも傷つけてしまった。

要は「その人の身になって話せ」だが、そこまで気が回らないことも多々ある。感情の抑制ができないで言ってしまった後に「ちっちぇえな自分」「心が汚れているんだな自分」と後悔する。口は災いの素、後悔するくらいなら「沈黙は金」、ぐっと口元を抑えて語るべからず。口をがま口にしてパチンと閉じようだが…

本音は言うべきだという意見もありけり。さもないと上っ面の付き合いになってしまうし、ひと言を言い合えるくらいじゃないと深く付き合えない。「おはよう」「寒くなったね」とFacebookの朝活になっちまう。それに、語らないと理解されないばかりか、何か不満があるんじゃないかと相手を不安にすることだってあるでしょ。

かように人間関係はひと言で築かれ、ひと言で崩壊する。

だがそれを怖れてマユに入って仕事も暮らしもできない。摩擦で人は大きくなるのだ。結局は「大きな人になる」べし。心の修養の問題なのである。それがぼくには難しいだけだ。そこでぼくなりに実践していることが三つある。

「清掃」「電捨離」「自然」である。誰にでもできる簡単な処方せん。明日のブログで会いましょう。

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猫になりたいにゃあ…(=^^=)

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