補欠でもやめない。

補欠だったらスポーツ、やめますか。ぼくは少年野球でずっと補欠だった(^^; でも一日も練習を休まなかった。なぜだろう…

Oさんの息子もBチーム、つまり補欠である。でも楽しそうにがんばっている。今日も母の自慢の弁当を持って試合に行った。めげずに行く姿を見て母は偉いと思った

ぼくも同じ境遇だったが「楽しいから?」…ちがう。苦しかった。

町の少年野球チーム、炎天下でランニングをして鼻血を出した。何度も尻(ケツ)バットをくらった。太腿に当たると痛かった。外野フライをおでこに当てた。あんまり痛くなさそうにしてガマンした。運動神経も鈍かったけれど、視力も弱かった。眼鏡してやれなかったし。

小学校6年生の最後の試合も補欠だった。でも9回の裏、代打で出してくれた。振っても当たらない。3ボール2ストライク。フォアボールよ取れろ!…だが結局見送りの三振。あゝ…

野球は下手だったが見るのは割と好きだった。小学校当時は巨人軍V9時代、とても後楽園球場には行けなかった。でも東京球場は楽しかった。

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ファンクラブに入ってロッテ•オリオンズの試合を見に行った。外野席の権利だったが、フェンスを乗り越えて内野席に移動しても何も言われなかった。1970年、ずっと弱かったロッテオリオンズがついに優勝した。強打者アルトマンがいた。場所は今調べると千住の方だったが、たぶん都電で行ったんだろう。

しかしずっと補欠で、なんで続けられたんだろう?

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当時の漫画『巨人の星』の影響も、王•長島•金田というヒーローに憧れたこともある。でも自分をヒーローに同化するほど期待できるものはなかった。小学校を卒業してすっきりやめられる。練習からも解放される。出れない悔しさからも解放される。せいせいした!…と思うほど悔しくもなかった。なにしろ下手だったから。

つまりこうなのだろう。試合に出れないことで腐るより、出れないからやめることはガマンならなかった。それの方がかっこ悪いと思った。唯一人間形成上良いことがあったすれば、粘りですね。コンプレックスと戦うなんて勇ましいものじゃない。惰性ですよ惰性。

ぼくは「必死に自分探し」をして「今日から変わろう」なんてできない。惰性の中で「やっぱり違う」「自分はこれだな」みたいな探索的な生き方で来たのは、なかなかやめなかったからだろう。補欠のあの日を思い起こして、そんなことを思った。

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