個性とは…

ここ数日の暴風雨がやんで凪になり、順風もほんわりと吹いてきた。神様はいるんだな。

今日3つのことがあった。串刺しにすると個性がテーマにありそうだ。どれも深い話なのでちゃんと書くとクドクドと長くなるし差し障りもあるので、ボヤかしてショートにする。

まず昨日のこと、11月のギャラリーイベントでの企画「小さな絵本プロジェクト」で試作発表をし合った。ぼくはオチこんだ。なぜならぼくの表現と他の人の表現で個性があまりに違うのだ。ぼくのテーマは「孤独な魂とその救済」で、明るくもないしメルヘンのカケラもない。だが冷静に見れば、この企画のターゲットは「ちょっとメルヘン、ちょっとフフン」がぴったりの30代女性。ぼくの孤独ドラマはお呼びじゃないのだ。予想されたことなのだが、寂しくてつぶやいちまった。

ここでもまたひとりぼっちだ

優しいストーン下村さんになだめられた。「そんなことはないワ、みんな小さな孤独を抱えているのよ」と。そうかもしれない。そこでぼくは創作者として参加しないことにすると気が楽なった。自分らしい場で自分を貫くべし。それが個性の生きる道だ。

次は文の仕事のこと。兼ねて、ぼくがドラマチックに盛り上げると平たい文に変える編集者とのバトル(?)で、悩んでオチてモチベーションダウンだった。それに遂に終止符が打たれそうだ。ドラマチックでゆくべしと裁定が下されたのだ。

ああ!見てくださる方は見てくださっている!

盛り上げる檄文はぼくの個性である。だからこの裁定はホントにありがたかった。これから良い文を書かねばという緊張が倍増することにもなりそうだが、「せっせと書いてもどうせ書き直される」というモチベーションのオチより、綱渡りの方がやりがいがある。

三つ目は「何か変なものを抱えている人」の話である。変なものとは何だろうか?それは心または心臓付近にあるらしいのだが、その人自身も上手く表現ができない。たぶん孤独やツラい体験、劣等感みたいなものの複合体だ。それに触れられたり、開こうとされるのがだめだという。

うーむ…映画やドラマでは開いてゆくのが永遠の愛みたいに描かれるが、現実にはそうは問屋が下ろさない。人は誰もが孤独に生まれ、孤独の内に死ぬのだとすれば、抱えているものはその人らしさなのだ。つまり…

個性とは苦悩であり武器でありトラウマでもある。それでいいのだ。それに少しでも肉薄することが創作であり、表現であり、愛なのだ。

smile

なんやかんやで気持ちはずいぶん楽になってきた。

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