曼珠沙華的生きかた

「まんじゅしゃげ」という言葉を発声するのが好き。前半の「まんじゅ」にはまろやかさが、後半の「しゃげ」には決意がある。

どちらが別名か知らないが「彼岸花(ひがんばな)」とも言う。断然「曼珠沙華」の呼び名がいい。元々のサンスクリット語の名前(マンジュシャカ)を漢字で音写した。赤い放射形状を連想させる擬音もいいが、「曼珠沙華」という妖しい東洋漢字がまたいい。

今日、Facebook上にたくさん曼珠沙華が咲いていると思ったら、買い物の途中、路傍でそやつを見かけた。

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民家と公道の隙間から生えていた。民家由来か公道由来か微妙なところだが、通り過ぎた後、無性に欲しくなった。取って返して、道行く人が途絶えてからポツン。すまぬ。拙句をひとつ。

曼珠沙華 路傍で赤く 火の手あげ

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火の手上げ、という表現は自分にしては絶妙だと思った。後で知ったのだが、その赤さと形から、家にあると火事が起きるという俗説もある。心に火の手を上げたい。曼珠沙華といえば愁絶の俳人、野見山朱鳥である。第一歌集『曼珠沙華』の代表作がこれだ。

曼珠沙華 散るや赤きに 耐へかねて(野見山朱鳥)

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病身の俳人はその壮烈な生命観をもって、散るものを揺さぶるように詠った。曼珠沙華の赤さを人の命が散ることに重ね合わせた。実際、曼珠沙華は毒性があるという。毒、すなわち死。俳人の姿が重なる。画像は『野見山朱鳥 愁絶の火』より。

死と言えば生が隣り合わせだ。どうもぼくにはこの花のシルエットが循環器に見えてならない。そこで一句。

曼珠沙華 心臓つかむ 血の管よ

心臓か肺臓か、血管が包む実体は空(くう)であるという儚さもすごい。この花は彼岸の時期に咲くからか、寺の裏に多く咲いたからか、彼岸花と呼ばれる。さらには死人花、幽霊花とも呼ばれるらしい。死があるから生が際立つ。花の命は短くて…というじゃないか。なのにどうして忌み嫌うんだろう。

枝も葉も節もない花茎がすっくと立つ。余計なものをいっさいまとわず、てっぺんで赤い血を放射する。シンプルでストレートで潔い生命体。それが曼珠沙華。

この首を刎ねよ言うか曼珠沙華

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刎ねられても美しく生きたい。まあ火事が起きると困るので、速やかに処分しますが…(^^*)

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