汝なんのためにそこにありや

医師インタビューは期待を上回るおもしろさだった。その医師の心に残る言葉がまたしみた。おすそ分けしますね。

汝なんのためにそこにありや

「自分はなにをしているのか」
「なんのためにそこにいるのか」
「今、何をしなくてはならないのか」

秋田県立秋田高校の元校長の鈴木健次郎が、ある年の卒業生へはなむけで述べた言葉だそうだ。人や社会との関係で自分を省みるべし。帰ってからネットで調べると多くの人が感銘を受けている。今でも本校の入学式の式辞で都度言われているようだ。

これを自分に問いかけると、正直、うなってしまった。

言い訳を心の内のタテにして、やろうとしてやりきっていない。もっとできたはずなのにしなかった。するべきことはわかっているのに、別の予定を入れようとしている。痛い•ツラい•痒いと体の不調のせいにする。なんかノんないんだよなと気持ちの波のせいにする。

いかん…でも「なんのために」は幸い明瞭である。自分に残された時間を何に降り注ぐかわかっている。だからやればいい。やりますとも!

そこで問題。「どうやったらこの教訓をやり抜けるか?」である。

教訓は骨や血にしないと意味がない。だが往々にして額に入れてほっとく。実りある収穫にするためにどうすればいいのか?二つ挙げておこう。

ひとつは「ゲームオーバーまでは負けていない。勝つまでやる」自分が時間を支配できるゲームにしてしまえばいい。つまりやり続けることだ。医師はおもしろいエピソードを語っていたが、これ内緒(^^*)

もうひとつは「他者との関係で考える」。主語は自分だけれど、幸か不幸か、人はひとりではない。味方や敵、上司や部下、友人や仲間、愛する人や憎む人がいる。自分がすることはその誰かに何らの影響を及ぼすことだ。その誰かをどうするのか?どうしたいのか?自分はそうするために生まれてきたのか?と問い直そう。YESなら進むべし。NOなら考えなおせばいい。

しかし真の教育とは、その人の生涯に影響を与え、ずっと考えさせる素材を提供することである。素材とは先人の業績であり、生半可な流行り廃りで消えない教養であり、動かす言葉である。考えさせられた。

nyanji

ニャンじ、なんのためにそこにありや?(=^^=)

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