男はたまや、女はかぎや

花火の話題をFBにアップデートした人のところに、悪ふざけしてこう書いた。

夜空にたまや〜 心にはタマしいを! おとこはたまや(^^*)

反応してくれるかなあ…と思っていたら宣子さんがこう書いてきた。

「女はかぎや」

おおおおお!そーだ!その通りだ!(笑)座布団2枚あげる。ほいっ(^^)

女は「かぎ」や。男はそれを開ける「たま」や。比喩的にも官能的にもまさにそれだ。

男はなんのために生きるのか?それは女という謎を解くためである。では女の謎とはなんぞや。突然笑いだす、突然泣きだす、しゃあしゃあと喋り続けるかと思えば貝のように語らない、不意にいなくなったり、また現れたり…男から見るとまさに謎である。

それでも女心の謎解きは男の使命である。それだけが男の生きる道である。それなのにズルをして、ショートカットして肉体を愛そうとするからうまくゆかないのだ。

女の鍵は「錠前」つまり受け手、男の鍵は回す方の「鍵」だろうか。

真の恋なら錠前と鍵はツガイなはずである。導かれて出会い、心と心の火花を散らしあい、ときにショートして焦げ、ときに燃え上がって近所さまに迷惑もかける。鍵がひとつになれるかどうかは恋次第…

あれ?開かない…オレの鍵、合わないのか?
あなた、開けてくれないのね。鍵ちがいだったかしら。

そんな恋の花火が散りあって、鍵と鍵が合うかどうかは、男が謎を解く努力を根気づよく続けられるかにかかる。だが男はスケベで、お調子者で、忘れん坊である。だから閉じた鍵を壊してでも入ろうとする。

すると…恋の花火は消える。

ところでかぎやは鍵屋であり、たまやは玉屋である。どちらも江戸の花火師であり、両国橋をはさんで夜空を彩りを競っていた。鍵屋からの分家である玉屋の方が人気が出て名声を欲しいままにした。だが天保14年の花火大会で失火を起こして、町を大火事にしてしまった。将軍家慶は玉屋を江戸追放の罪にした。断絶である。一方鍵屋は残り、現在は江戸川区の宗家花火鍵屋が第15代目を継いでいる。

その15代目鍵屋は、天野安喜子さんという女性である

鍵を握るのは女なのだ。お調子者の男は「打ち上がった〜!」と一人喜ぶ。それを女は冷静に見ている。なぜなら男を打ち上げるのは女だから。男は夜空に消えるたまにすぎない。

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