雪という希望

南関東地方、今夜から明日にかけてみぞれか雪が混じるかも、という天気予報。雪が降るといいなあ。グラマーな雪だるま、明日つくれるだろうか。

yuki
ぼくはお天気屋である。晴れだと憧れる人の住む町の方角を見る。雨だと自分は誰?何をしたいの?と哲学を考えだす。雪だと…気恥ずかしいけれど、世界のことを考えだす。

雪だと、家も道も町も山も白い稜線で埋もれる。すると家の大小も、構えの立派さも、クルマのグレードも、一様に埋もれて、一旦見えなくなる。雪のおかげで平等になれる。どの家もおんなじになる。

そういう世界を考える、そういう世界を楽しむ。溶けるまでのあいだ。

雪が降ると思いだすことって何だろう。ぼくにはひとつ情景がある。

高校1年生の冬、郵便配達のアルバイトをしていた。やれやれ配り終わったという夕方、雪が降り出した。自転車をこぎながら雪をなめた。池袋北口の歓楽街の先に、仮設の郵便局があった。建て替え中だった。飲み屋にソープランド(当時はトルコ風呂でしたね)に性病専門の病院が連なる、いかがわしい通りを、雪の粒を顔に受けて走った。

なんとクリスマスイブだった。

自分は雪の中で配達のバイト、でもみんな温かい家でケーキを食べたり、彼女と一緒だったり、女を抱いているんだなと思ったけど、哀しくはなかった。ほんとうだ。なぜかって、赤い帽子はかむっていなかったけど、自分は郵便配達のサンタさんだと思ったから。いや…ほんとのことだ。

配達したいものってなんだろう?かっこうつけると、たとえば希望。

Hope is the thing with feathers. That perches in the soul. And sings the tune without the words. And never stops at all.(Emily Dickinson 詩人)
希望には羽根が生えている。希望は魂の中でさえずり、無言で調べを歌い、けっして終わることはない。(拙訳)

希望は人によって色々ちがうだろうけど、雪が貧富を覆うように、屋根の下をのぞくと、あんがいひとつしかないもんだ。希望は99才になっても持てる。希望は「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ!」と歌で響く。希望はひとりよりもふたりの方が強くなる。

希望をつかむと飛べる。たいていのものは乗り越えられる。

emily dickinson
Emily Dickinson

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