消えてゆくことば

今朝がた、消えていったことばを追いながら浮かんだ“五行詩×五節”である。

*****

消えてゆくことばを追いかけて
そやつらのしっぽをつかまえて
鉛筆をつかみノォトを開いて
消失期限切れの勝負
だが…書いたそばから消えてゆく!

心の地に降りてきたことばは
握った砂のように粒粒になり
すくった水の中の小魚になり
吹いた風に舞って雲になり
つかんだそばから消えてゆく!

心にもトレシングペーパをあてられたらいいのに
鉛筆に心のコピーペイスト機能があればいいのに
紙の上に残ったことばも
心の残像のことばも
どちらも影法師のよう

ひらりと消えたあの娘のように
投函されなかった恋文のように
思い出を囁きあうことばたち
実はことばに恋したんだろう?
想ったそばから消えてゆく!

この世から消える前に書いてみせよう
ことばを一度だけ追い抜いてみせよう
振り返るとそやつらはズンズン昇っている
ことばの成層圏を超えて見下ろしている
見定めたそばから消えてゆく!

*****

ずっと昔、文を書こうとしてなかなか書けなかったとき、ある人が「詩を書いたら?」と言った。それは良いアイデアだ。ちょうどフランスの奔放詩人と日本の夭折詩人に恋をしていた頃だ。書いてみよう。

だが先人の詩文を読めば読むほど、悲しいものばかり。憐な山羊や放浪の日々。黒い海や灰色の川。握り落ちる砂に別離、咆哮、雷鳴、闇…そしてひとりきり。力をくれるものもあるけれど、ひとりぼっちには変わりない。悲しみを背負って生まれたと思ってるのに、もっと背負えよというのか。そんなふうに思って書けなかった。詩文に歌をつける、絵をつける、踊りをつけるなら淋しくないのだろうか。

だが書家の西垣一川さんと先日少し話したとき、彼女が教える五行詩にふうんと思った。起承転結が四行だから一行余裕がある。上の拙句には「起」や「承」に追加をしている。俳句は三行、短歌は五行だから奇数が落ち着くのだろうか。

文を活かすにはリズムがいる。音韻(朗読のリズム)だけでなく読韻(字面のリズム)や心韻(読む人の心のリズム)を整えるトレーニングにも詩文はいい。

IMG_8556
遠雷のように響いた消えてゆく花火、団地からの風景。


コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中