ナマの顔

なんとなくモヤモヤしてFacebookにナマ顔画像をあげてみた。
doutai

ま、ここにあげるほどの器量じゃないので、ナマ胴体でかんべん(笑)。

ほんとうになんとなくなんだけど、強いて理由というか想いを探ってみると…

まず今朝のFacebookがちょっとから騒ぎに見えた。みんないろんなことを書いてる。いいねするかどうかとか、認めるか認めないかではない。ソーシャルメディアは双方向というけれど、実は片方向のことが多い、通じにくいんだな…と思った。

まあこのブログだって片方向。毎日書いているけれど、拙文ゆえ、読み飛ばされゆえ、通じてないこともたくさんある。一方通行のコミュニケーションはコミュニケーションって言わないけれど、現代はそれがコミュニケーションになってゆく。そこがなんか歯がゆい。

さらにギャラリーに来るお客さんの笑顔は(ときに勝手に)ウエブにアップしちゃうのに、自分は隠れたままじゃ不公平だ。

だからせめて顔でもあげてみっか。こんな顔してるヤツだと告げてみっか。

インフルエンザ罹患以来、美容と健康のため朝フルーツを欠かさないのでお肌ツヤツヤ…そんなことあるわけねえ(笑)。心は永遠の思春期だが、顔も頭も中年期、鏡は直視しない。ある目的のため顔肉ほぐし体操はするけれど、それ以外に手入れも施術はしていない。

もうひとつ「情報発信するなら顔を見せないといかん」と思った。

最近2本つづけてマーケティングの専門家である郷氏にコメントを求める連絡が入った。1本は誰もが知る週刊女性誌、もう1本はNHKの情報番組。どっちも「私たちのおもしろマーケティング企画を補強するコメントをもらえませんか」だった。ぼくは気の利いたコネタ的コメントが苦手。東日本大震災以来、皮相的なビジネス情報にすっかり疲れた。

両方とも対応したがボツだろう。それはいい。でも「人にモノを頼むときは顔くらい見せなさい」。週刊誌名やNHKという顔じゃなくて、連絡するあなたの顔を見せてよ。まあマーケティングの大家はこんな服装じゃないので(笑)もう連絡は来ないだろうけどね。

四十を越えたら自分の顔に責任をもてと言われる。ぼく流に解釈すると;文を書く人は自分の顔に積もった喜怒哀楽を観察せよ、皺々の終端まで見よ。人様を描くときも同じようにせよ。ナマ顔は生きざまの肖像なのだから。

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