しなる女

女がホームをしなって歩いていた。前後左右に、妖艶にまた清楚に、しなっている。

そのしなりかげんはバーの女の「お膝にどお?」ではく、携帯片手に前後にしなるバーチャル女でもない。黒髪の知的な顔立ち美人。黒いスプリングコートにシックなストールマフラーがよく似合う。

彼女はゆら〜りゆら〜りとしなっている

ちょうど着いた電車の車内に乗り込む。ひと駅、ふた駅過ぎていつの間にかぼくは、しなる女と隣になっていた。

しなってくれないかな。

ほどなくぼくの前の席が空いて、クソ寝不足で静養が必要なボクは腰を落として、前後に激しくしなりだした。時間が過ぎた。ハっと気づくと降りる駅の二つ手前である。左隣はゲーマー野郎、右は誰もいない。見渡せる限り、しなる女はどこにもいない。今、どこの空間でしなっているのだろうか?

女はしなるからいい。

女の肢体はしなって揺れて、ある瞬間、美の閃光がはしる。一方男はリジッドである。ゴワゴワはいいがブヨブヨはいかん。もちろんどこも硬い方がいい(笑)。だがリジッドで、しなりがなくて、そそられないのが男だ。

いやいや、男も女もしなるものだ。それは愛するとき。愛とはしなり•しなられ•しなり合い、昇りつめて果てるもの。

「いい人!」と思えばそちらに自然としなる。しなられた方はしなられた分、しばし凹む。気が合えば凹んだ部分をもりかえそうと、しなり返す。しなりとしなりがしなり合い、幹と幹をからまりあわせて育つ、ベンジャミンのようにひょろひょろと。次第に愛のみずみずしさが失われ、葉が枯れ枝が萎れ、しなりが無くなる…

なんといっても、しなるのは男よりも女の得意技。しなるからこそ女は永遠の被写体であり画題である。ピカソはマリー•テレーズに「一緒に世界を変えよう」と言い寄り、女の顔をバラバラに分解して、身体をしならせてひねった絵を描き、キャンバスに封じ込めた。

天才の真似はとてもできないが、一度しなりを描いてみたい。

shinaru

女を描く。デッサンが終わる。画家は裸婦にシーツを投げる。そして一歩二歩と裸婦に近づく。肩に手をかける…

その瞬間。

裸婦はスケッチブックに、ひょいっと吸い込まれる。画家は慌ててスケッチブックをなでるのだが、女はすでに平面の中。かすかに腰をしならせている。もっとちゃんと描いてとせがむように…。

女はしなるから美しい。では諸君、佳き週末妄想を(^^)

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