かつて翻訳をしたいと思ったことがある。そこで英文翻訳の大家の本で学習しだしたが、結局止めた。技術上の難易度ばかりではない。そもそも翻訳は創作であり、創作が満足にできない自分にはできないと思ったのだ。
だが先日、翻訳家の藤本優子さんがEmily Dickinsonの詩『Wild nights – Wild nights! 』をシェアしていた。読むとムラムラと(笑)訳したくなった。原文を上げる。
Wild nights – Wild nights!
Were I with thee
Wild nights should be
Our luxury!
Futile – the winds –
To a Heart in port –
Done with the Compass –
Done with the Chart!
Rowing in Eden –
Ah – the Sea!
Might I but moor – tonight –
In thee!
どう訳すか。全体の流れを「夜は私を狂わせる」と読む。ベッドに入る。いつもそこで逢う愛しい人がいるのだ。あの人をこうしたい、ああしたい、あの人にこうしてもらいたい…と愛と性の妄想の扉が次々に開かれる。興奮して眠れん。あるでしょう?ぼくだけじゃないはず…(笑)。そのリズムで冒頭四行を訳すと、
嵐の夜、嵐の夜よ!
そなたと共なら
狂おしい夜は
ふたりへのごほうび
ちと硬いかな。ポイントは「Wild nights」をどう訳すか。夜が複数形なのは「寝るたびに妄想が始まる」のだろう。また「luxury」は「ゼータクね」じゃなくて、性的満足のことだ。あと二節をアラ訳。
風が吹いても私は
港の内側。だから
羅針盤もいらない
航海図もいらない、でも
エデンの快楽の海に
漕ぎだしたいの!
今夜はあなたの中に
錨をおろしたいの
詩人エミリーは隠遁生活を送り、ロマンスはなかったといわれる。この詩も死後に寝室で発見された。だからこそ自由奔放な詩編ができたのかもしれない。しかし、やっぱり“Wild nights”の訳がポイントだ。
「妄想の夜よ」…つまらん。「キミと一緒なら 夜はワイルドだぜえ」…だめ?(笑)「そなたと 穏やかならぬ夜を」…明治時代の翻訳。「性に悶える夜」…詩にならん。ではこれはどうか。
荒れ星の夜よ!荒れ星の夜よ!
星と妄想を重ねた表現、ロマンチックだな〜(自画自賛)。しかし自分の中の妄想的なスケベと女性賛美に照らしあわせると、こんな感じ。
女神たちの夜よ!女神たちの夜よ!
笑うな(笑)。何しろ女性は妄想でも現実でも美しい。確かなことは、ムラムラするぼくにはやっぱり翻訳はムリだということだ。
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