病める人の癒しについて。

病める人への癒しってなんだろう?母の病室で時間を持て余してぐるりと見回した。テレビにDVD、デジタル・フォトフレームがある。

バラエティをダラダラつけてぼんやりする。それももう見なくなった。今日はケイン・コスギのDVDを観てニヤリとしていた。デジタルフォトフレームは意外に楽しんでいる。ケータイやPCから指定アドレスに画像を送ると、病床の母の下へ自動アップロード。スライドモードでループさせると小さな卓上シアター。

だが母は自分が撮った写真に最も癒された。ブリーダーをしていた母の愛犬たちの写真を手にすると「縁にキラキラを付けたい」というからびっくり。

ここは「緩和ケア」病棟の病室である。ここでは積極的な延命はしない。ならばもう少しロッジ風だとか昭和の家屋風だとか、内装やインテリアに「安らぎ」があってもいいと思う。公立だからこれでもとても良い方ですけどね。

病室の外には癒しがもっとある。談話室スペースゆくと、母は水槽の熱帯魚をじぃっと観ていた。小さい生き物の動きには人を癒す力がいっぱいある。

オーディオセットにCDを入れて、談話室のテーブルで夫婦がじっとjazzを聴いていた。長い時間並んまま、無言で、じっと台風一過の外を見ていた。きっと何かを共有していたんだろう。この部屋の奥にはアップライトピアノがある。イベントで歌う人が弾くんだろうけど、弾くのも癒しになる。弾けるもんなら、キース・リチャーズのunknown dreamsをキメてみたいもんだ。

入院者や見舞客らが残した本たちもある。下巻しかない本もたくさん。青春の門ってどうよ(笑)。“宗教本はありません”という張り紙も。宗教に救いはなく、宗教心にこそ救いがあるからだ。読むには体力をつかう、いわんや書く元気は出ない。でも俳句をひねるなら癒しになるかもしれない。

再び廊下に出ると壁には絵がかかる。どの病院にも絵があるけれど、ほとんど印象に残らない。差し障りない、大人しい風景画が癒しになるのだろうか。ぼくならこんな絵ならピンと元気になるんだけど(笑)。かえって病気になるって?(笑)

病室に戻り、うつらうつらする母の横で、ぼくはペンケースをチクチク縫っていた。正直、見舞いも疲れるのだ。ぼくにも癒しが欲しい…だからチクチク、手づくり。

今より元気な頃、母もプリザーブドフラワーで手づくり教室に参加した。「病院の催しなんて…」と悪態をついていたが、それなりに楽しかったようだ。手づくりには癒しもあれば励ましもある。集中するーまた作ろうと思う。もう少し生きようと思う。そんなチカラ。

癒しと励ましはちがう。癒しは受け容れること、励ましは戦うこと。まだ絶望の手前にいるのなら、癒しだけじゃなくて、励ましも受け容れたい。

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