裸になること。

いろんな意味で裸が好きだ。「裸になる・裸でいる・裸で生きる」ことである。

ひとりで仕事するとき裸になることがある。上半身だけ、事情が許せばスッポンポンになる。創造性が高まるとか、能率が上がるとか、効用を求めてるわけじゃない。ただ落ち着くから。解放されたいから。キモチがいいのだ。

フェイスブックの某PR系会社の女社長も「休日出勤してフルヌードで仕事♪きもちいい」と書いていた。「同感でーす!」とコメント。裸仲間ですね(笑)。夫婦で自宅で裸族というカップルもいる。それは羨ましい。裸好きな人は案外たくさんいるとぼくはにらんでいる。

女優には自宅で“全裸ダイエット”をする人もいる。姿見をおいてフルヌードでボディチェック。それがシェイプアップのコツ。彼女たちは露出が仕事だから当たり前だが、ヌードになる=身体をキレイにする、ここにはつながりがある。

なぜなら「脱ぐことは自分を見つめること」だから。

だが「見せる」と言っても単に「見せたい」では露出症だ。よく自衛官や警察官が出してしまって逮捕されるが、あれは制服が影響していると思う。教職者がワイセツなオイタしまうのも、「社会的に信頼される地位という制服」ゆえの反動だろう。

   “制服”ということで本文とは関係ありません。

人が制服を脱ぎたいのは、それが「誰かであること」を強いるからだろう。警察官、自衛官、教職者…「そういう誰か」でいたくない。

「脱ぐことはウワべの自分でなくなること」なのだ。

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一方裸が落ち着かないこともある。ぼくは裸で寝ることができない。そのワケは…エロくなるからだ(笑)。コーフンしてくる。やっぱパンツ履かないとねえ…と着ると今度はもの足りなかったり(笑)。もっと年を取ればソレもなくなるのだろうが…。

「裸は自己解放であると同時に、エロへの束縛」でもある。まさにアダムとイブの原罪。

裸じゃないことがエロいぞ、というメッセージを出す人びともいる。ロシアで逮捕されて禁固刑をくらったパンクグループPussy Riotのメンバー(All女性)は、マスクをして歌う。ひどい歌なのは別にして、顔を隠すことが強烈な自己主張になっている。

「マスクは自己解放であると同時に、自由への束縛」でもある。彼女らのマスクの下がかなり美人だったせいもあり、ぼくは混乱してしまった。

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話がそれた。ぼくは我がエロ心も隠さずに、服を剝いて、肉を剝いて、骨を剝いて、心を剝いて…どこまでも裸になりたい。スッポンポンになりたい。そこから自分なりの骨・肉・皮の表現を重ねていきたい。そうじゃないと書けないのだ。

心を裸にするのはむつかしい。裸でいることもかんたんじゃない。だがいちばんむつかしいのは、やることを裸にして、それがみんなから感謝されることだ。

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