プールの金魚たち

男の子は、数えきれない赤や黒や白やブチの金魚たちが泳ぎ回っている、縁日の金魚すくいの台を見つめていました。
手にするモナカは、すでにへたっています。器には一匹だけしかいません。さて…

男の子は屋台のおじさんが見てない隙をねらって、角のところの金魚をすばやく手ですくいました。
一緒の女の子は「ふふっ」と笑って、手早く手拭いで男の子の手を拭き取りました。器には赤い金魚とブチの金魚が二匹、すいすい泳ぎだしました。
おじさんに器を渡すとビニール袋に器の水ごと入れてくれました。小さな袋に二匹の小さな金魚。
「行こう」
「どこへ?」
「どこか」
縁日の神社の境内には、人がいっぱい。座れるところを見つけると、それは石の動物の像の土台でした。上を見上げると、犬だか狐だか知れない石像のノドボトケが見えました。
「吠えているの?」
「いや話している」
「誰に?」
「向かい側の犬さ」
男の子は金魚のビニール袋の底を平たくして、泳げる面積を広くしてあげようとしました。そうすると今度は水深が浅くなって、うまく泳げません。
「こまったね」
「狭いのね」
「せっかくウゾウムゾウからとりだしてやったのに」
「ウゾウムゾウって?」
「おおぜいの金魚たち」
「ふうん」
そのときピーッと笛が響きました。ふたりはびっくりして石の像の後ろに隠れました。
参道の向こうから、大きな棒を上に下に持ち上げる人びとがきました。棒の先っぽには白やら黒やらヒラヒラ飾りが付いており、てっぺんに灯りがついています。それを見ようとする人いきれは波のようでした。お囃子のハーモニーが一段と大きくなり、人の波もおしてはひいて、よいしょよいしょ、と持ち手と同じステップを踏んでいます。
男の子は女の子の浴衣の裾をくいっと引っ張りました。
「いこう」
「どこに?」
「広いところ。すいすい泳げるところ」
「泳げるって…?」
「こいつらさ」
男の子は手にさげた金魚のビニール袋をかかげました。ふたりは神社を出て、夜道をふたりで歩き出しました。
「金魚はみんな旅をしていたんだ」
「どこへ?」
「南の南の南の海へ」
「南の南の南の海で、何してたの?」
「なんにも」
「なんにも?」
「ただ泳いでいたんだ。それが金魚にできることだから。それがしたいから」
「どうしてここに来たの?」
男の子は路の上の石を下駄で踏みつけました。そのつもりが、下駄の“歯”の間で踏んでいただけでした。
「はいっちゃったんだ」
「はいった?」
「大きな大きな大きな…黒い穴に。なんでも飲みこんじゃうんだ」
男の子は金魚のビニール袋を持ち上げました。ひとさし指でつついてみると、くるりと二匹は方向を変えました。
「黒い穴には金魚がいっぱいいるの?」
「いっぱいいる。多すぎて息ができないほど」
「このビニール袋より狭い?」
女の子は金魚すくいのビニール袋を指でおしました。
「もっともっとだ」
「みんなここに連れられてきたの?」
「そうさ。黒い穴に吸い込まれて」
「かわいそう」
「ぼくらに捕まって良かったんだ」
「どうして?」
「もっともっともっと広いところで、泳がしてやるからさ」
女の子は目を輝かせました。
「金魚、放しにゆくのね?」
「うん、川にいってみようか」
男の子と女の子は夜道を走ったり止まったりして歩きました。ほどなく柵のある川に来ました。川は夜の闇のように黒々としていました。流れているようにも見えません。女の子は心配そうに訊きました。
「ここ?」
男の子はかぶりを振りました。
「いいや」
「ここは…穴みたい」
「たぶんこの川は穴に続いている」
男の子と女の子は再び歩き出しました。町の光は遠くなったり近くなったりしました。
「海ではだめなの?」女の子が訊きました。
「海だといいけど、今夜中には着かないよ」
「そうしたら…死んじゃう?」
男の子は暗がりでうなずきました。しばらく無言で歩きました。ますます夜が追いかけてきました。星のまばたきだけが頼りになるものでした。
「金魚って何を食べるの?」女の子が訊きました。
「さあ…」
「お腹空くよね」
「たぶんね…」男の子は言葉をのみこみました。
田んぼのはずれの用水路には水がありましたが、そこも黒いようでした。大きなアパートのビルの横にも水槽がありましたが、そこには水がありません。夜はますます黒くなっていきました。
女の子は、そうだ!ーとひらめきました。
「あそこにいこうよ!」
「どこへ?」
「こっちよ」
女の子は男の子の浴衣を引っ張っりました。こっちこっちこっち…とずんずん歩いていきます。男の子は不慣れな下駄をゴロゴロいわせてヨロめいて行きます。着いてみると、黒い建物のシルエットが星空を隠していました。
「裏門へ!」
建物の周りの塀をぐるりと回って、有刺鉄線が無い裏門に着きました。女の子も男の子も下駄を脱いで、扉の下から中に蹴っ飛ばして、ノブに足をかけて登りだしました。
「金魚をもって」男の子が先に向こう側に降りた女の子に頼みました。
「かして」女の子は男の子の手を握りました。
すとん、と降りると、ふたりが通う学校の校庭のはずれでした。あかりはないのに、広いせいか明るい感じがしました。
「こっちよ」
ふたりは浴衣を着た忍者のように走りました。音が響かないように手には下駄をぶらさげ、こぼさないように金魚たちもー。
ふたりは二十五mプールへの網の柵の前で止まりました。あたりを見回すと網がやぶれたところがありました。針金を少し広げると、小さな身体ならはいれそうです。くぐるときに裾やら袂やらが引っかかりましたが、気にしませんでした。
ふたりはプールサイドに立ちました。誰もいないプールは、二十五mなのに百mにも感じられました。まるで静かな湖のようでした。
「広いね」男の子は胸を高鳴らせながら言いました。
「うん」女の子も上気していました。
男の子はプールサイドに近づき、手にしたビニール袋を逆さにしました。金魚たちはみごとに着水して、いったん潜ってから、あちこちにスイスイと泳ぎだしました。とても気持ちがよさそうでした。
「よかったね」
「うん」
男の子はブールを囲んだ校舎の壁にある、無数の窓をみつめました。
「きょうはウゾウムゾウがいないな」
女の子は笑いました。
「泳ごう」
「泳ぐ?」
「泳ぐ。ぼくが先に入るよ、そうすりゃ見えないだろう?」男の子はすっかり脱いでプールに入りました。
「どこに行った金魚さん?」小さく平泳ぎをしています。
女の子も浴衣を脱いで、手すりのあるステップから中にすべりこみました。水はひんやりして、でも気持ちがいいので、笑い出してしまいました。
女の子もすいすいと平泳ぎをして向こう岸までつきました。
「ほらもうこっちよ」
「見えないよ」
「うそ」女の子はまた笑いました。
「いくぞ」
男の子は音を立てずに、でもしっかりと手足をかいて、向こう岸の女の子のところまで行きました。女の子の背中に向かって言いました。
「金魚が食べるもの、教えてあげる」後ろからしっかりと女の子を抱きしめました。「これさ」
「これだったのね」
赤とブチの二匹の金魚が、ふたりのまわりをぐるぐると泳いでおりました。

++++++++++++++++++

inspired by 『祭りですくった金魚、プールに

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中