神社の構え

観光マップを手にして一番最初に目がついたのは、出雲大社の分院でした。

名高い神社ですから“分院”とはいえ、きっとご霊験あらたか。鳥取駅の駐輪場兼レンタサイクルでママチャリを借りてリンリン♫と向かいました。もちろん思いのほか栄えている町並み探索もあちこち兼ねて。

智頭街道を北に上り、某スーパーの裏手を彷徨ってくるくる回った挙げ句…みつけました。なんだか東京のお寺のようにケバい。神のいる雰囲気ゼロ。なあんだ…とその近くの別の神社も訪ねたのですが、う〜ん…そこもしっくりこない。

神社作家の瑠璃白さんは「自分に合う神社を探しなさい」と言った。“あなたの背負う神様と合わない”からシッシッと言われる(笑)と言ったっけ。ぼくの誇張半分だけど、彼女の言葉がわかりかけてきた。だって合わないんだもん。

市街地マップを今一度開く。町の外れに樗谿神社という読めない神社がある。付近は公園でもある。自然の香りが匂ってくる。ここに行ってみよう。その途中、神社ぽい一軒家があった。ハテなんだろう?と近づくと、自宅を改造した天理教神社!…これちがうなあ。

閑静な住宅街に入る。“おうちだに”と読むらしい地域に近づくにつれ、お屋敷が増えてきた。家が綺麗でデカイ。鳥取の高級地なのかしら?家々が途切れると、おうちだに公園に入る。さらに奥に進むと参道が始まる。

石畳の参道に緑樹が茂り、参道の敷石には草が生している。これだけで落ちつく…。参道突き当たりには神池あり。ホタルの住処は澄んだ池で、神様も呑んでいるだろうな。そして境内へ門構えがいい。門の板肌にひとびとの感謝と自然の恵みが刻み込まれている。

ここだ。

手水舎で左右の手を浄めると、心がおだやかに尖ってゆく。お祈りしたいことが自然に出て来た。それはもちろん物書きのこと。

「自分のことをしっかり書けるようになりたいんです。書かせてください」

これまでは神社を前にして、何を祈るかで迷うことがあったのに、スっと出て来た。境内への石段は厳か過ぎず俗にまみれず、自然体な造りである。一歩ずつ一歩ずつ素直になれる。深呼吸して上った。

この神社は1650年、日光東照宮の分霊として創建された由緒正しき社でる。いわれてみると東照宮の参道をほうふつさせる。江戸初期から残る本殿と拝殿等は国の重要文化財である。参詣者は絶えないはずだ。

だがお祈りの間、不思議なほど誰も来なかった。だから神社ルーキーのぼくは気兼ねなく「カランカラン」と鈴を鳴らして「パン、パン」と手を打った。ぼくだけのために時をくれたかのようなひとときだった。

拝殿から門への石段を見下ろすと、不思議な感覚を味わった。

神社と、参詣する自分と、それを見ている自分がいた。いろんなことにこだわる自分を「こだわりなさんな」と神様が諌めて、それでふっと自分を、自分の上から見れたような、そんなフワリな感覚。

たぶんそういう「構え」なのだ、ぼくが欲しているのは。自分のことを書く自分が見える。その文に自分も共感する。だからこそみんなも共感できる。

その構えに自然になれる場所。こりゃ神社内で執筆させてもらうか(笑)。天理教の家のように自宅神社はナニなので、自分に合う神社が身近にあればいい。たぶん周りのお屋敷の主たちはみんなそれを知っている。ご利益にあずかっている。

神社の構えと自分の構えが合うとは、自分というヤツに出会うこと。自分探しを神社巡りの名に借りてやっているのかもしれない。


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