うどんには人を解き放つ力があるようだ。
ドイツ・ドルトムントからマンチェスター・ユナイテッドに移籍するサッカー香川真司選手。8万人の大観衆で埋まるドルトムンドのスタジアムでのプレーから解放されると、近くの日本料理店に行く。そこで「うどん」を注文する。
それは『FUKUOKA』というドルトムンドの寿司屋で、メニューにうどんはない。彼のために特別にうどんを作る。彼はそれをすする。満面の笑顔で「うまい!」と言うんだろうな。神戸生まれの神戸育ち、仙台を経て大阪でプレーした彼。きっとうどんは関西風の薄味だろう。(出典)
さて一方、うどんには人を開く力もある。
知人の加藤donaさんは、ある日うどん店『釜玉』にでかけた。近くの席で、親子四人の家族が座っていた。父と母、兄と弟。向かい合いながら、その弟が真剣なまなざしで皆に悩みを打ち明けていた。その話を真剣に聴く兄がいた。その姿が生々しく清々しかった。
こ、ここはうどん屋だよね?と思いながらもそうやって親子4人が話をしている様子ってなんだかいいなと思いました。と、隣を見たら、その親子の様子を見て涙ぐんでる人がいる。涙もろいのにもほどがあるw (donaさんのFBから引用)
と加藤donaさんはFBに書き込みながら、自身も涙ぐんでいた(のではないだろうか)。
遥か昔に流行った「一杯のかけそば」の美談じゃないけれど、かけそばだけでなくうどんにも人情味がある話が似合うのはどうしてだろうか。
まず、麺類は世界中の庶民に愛される食品だ。うどんもそばも、ラーメンもソーメンも、フォーも刀削麺も冷麺も、麺や汁の種類はちがえども、カタチといいコンセプトといい、どの国でも共通する要素がいっぱいある。共感できる共通点が多いのだ。
さらに道具立てもいい。
どんぶりというシンンプルな丸い容器は、両手にすっぽりおさまり、丸いがゆえに回せるし、丸いがゆえに愛らしい。すり鉢状には広がりと深みが立体交差している。箸二本という世界でもっともシンプルな道具で麺をほぐすと、なんだか心もほぐれてくる。
うどんでもそばでもラーメンでもいい。目の前に「お待ちどおさま!」と麺と汁のどんぶりがやってきたとしよう。
さあ麺を頬張り、汁をすすろうじゃないか。
湯気が麺からあがる。汁から広がる。麺を持ち上げてやる。麺のヨレには人生が伸び縮みしてきたイキサツがあるじゃないか。汁をレンゲですくってやる。汁の漂いの中には人生の浮き沈みをほうふつさせるコクがあるじゃないか。
最後の1本まで麺をすくってやり、ずずっと汁をたいらげてやる。はあ〜うまい。なぜ麺を前にすると、解き放たれ開かれるのか見えてきた。多くのひとがなぜ麺が好きなのか見えてきた。
明日の昼はタマゴ丼にしようかと思っていたが、うどんだな。
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