人間はけだもの

たしかに人間はけだものだ。

ぼくのことを言われたようにガツンときた。ぼくのどこの部分を言われたとぼくが思ったかというと、差し障りのないギリギリの線で書くと(笑)、ルール無用や法律違反のけだものという意味でもなく、情味が薄いけだものという意味でもない。

世間体をかえりみないけだもの。社会人として相当外れたけだもの。良き家庭人の振る舞いをまったくできないけだもの。後片付けとか整理整頓ができないけだもの、とcherryさんとMakikoさんにも陰口を叩かれているし。

ともかく。

言い訳はしないが、みんな一枚脱げばけだものなのだ。寒さしのぎで、けだものの皮を着けた時代には、けだものらしい人が最も尊敬された。けだものはけだものに強いことが尊ばれたのだ。今の時代でも同じだ。けだものの中で頭角を現す人が尊ばれる。ザ・ケダモノ・オブ・ケダモノとでも言える。

「あのオトコはケ・ダ・モ・ノ」と美女に指差されるほどになってみたいものだ。まあぼくにはムリだ。「今夜はケダモノになっていい?」とおずおず訊いて「バカじゃない」と言われるのがオチだな(笑)。

でもかつて「けだもののように愛して」と言われたことはある。同じ人から「やさしくして」とも言われていたのに、そんなキモチにもなるのかと震撼させられた。時節を経て同じ人から「このケダモノが!」というような目で睨まれたこともあった。ああ女は実にわからん…。

ともあれ。

世間には、けだものを上手に隠し通せる人とそうでない人がいる。隠し通せずお縄になる人もいれば、隠し通して「いい人ね」で終わる人もいる。どちらがいいか幸せかわかないけれど、考えてみると、このスローガンはあながち悪い言葉ではない。

人間はけだものにならなきゃならない時がある。いろんな意味で自分の骨や肉や臓を出しちまわないとニッチもサッチもゆかないときがある。どんな時にどんなスピードでケダモノ変化するかはおまかせだけれど、何かを生み出そうというときは、けだものになることに尽きる。出しちまえよ。


引用元=かなだつとむHP

すでにあなたはけだものですか?いつあなたはけだものになりますか?


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