自分のペンを探して

なぜmaruさんの絵には力がみなぎってきたのだろうか?

彼女の絵は動き出す。絵に生命が宿るところが好き。今回の個展の作品ではその「動き」に磨きがかかった。前と何が違うのだろう?違いといえば強いタッチ。それはアクリル絵の具にプラスして使っているらしい「ペン」のせいかも知れない。

 『大名1-6』 maru作品

今ぼくはある文章を書くために修行中の身である。いったん書き出したものの「何かがちがう」とちょっと停滞している。まだその文章を書くために下半身強化が必要だ。自分の文章の体幹、軸はどこにあるんだろう?maruさんの絵に筋が入ったように、ぼくはどんなタッチを入れればいいのだろう?ぼく自身はどう入れたいのだろう?

あらゆる表現芸術にはリズムがある。

音楽のように体を動かすリズム、
絵画のように目を動かすリズム、
造形のように空間を歪ませるリズム、
書のように緩急のリズム。

文にもまたリズムが必要である。文は言葉を使う分、他の表現芸術より具体的かつストレートなので、ぼやかしたり、立ち止まらせたり、走らせたり、読者を誘い込む技巧がいる。そのリズムと軸がなかなか一致しない。それがぼくの悩みだ。

だが文にはしょせん3つしか種類がない。

状況を説明する「地文」は「どう世界を観るか」という下地をつくる。
シーンを説明する「描写」は「どう世界を歩むか」と描き込む。
思いを説明する「セリフ」は「どう世界で生きるか」という起伏をつくる。
これらをミックスして描く、それしかないのだ。

ぼくが書きたいことは「生きざま」なのである。
こいつが誰か。何に悩むのか。どんなにもがくのか。どう道を拓くのか。
言ってみれば「心の冒険」なのである。それを描きたい。

それで答えが見つかった気がした。「冒険のリズム」で書けばいいのだ。

冒険のリズムのある作家、ロールモデルとなる先人の業績を探してみた。夏目漱石の三四郎か。J.D.サリンジャーの短編か。司馬遼太郎の梟の城か、ダニエル・キースの傑作か、チャーリー・パーカーの自伝…なんともはや読書歴はバラバラだな。絵画でも音楽でも通じるところはあるけれど、やっぱりあまり広げすぎない方がいいよと。でひとつ、原点をみつけた。この人のタッチを学んでみようというエッセイ。

そこから学んでみたい。自分のペンを探して、生きるために。


『遠い日々 遠い思い』 maru作品


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