ヒルズでもノマドでもなくサクラコの話

日経の記事『ヒルズ族よりノマド族(若者、地方へ)』はいいところを突いている。「遠隔地でもネットがあれば」「事業&生活コストが安い」「エンジョイできる」というのもあるけど、ぼくが「いいな」と感じたところは少し違う。

厳しい競争社会から逃れ、のんびり働きたい人が地方を選ぶ時代は去った。ITや高速交通網の進展は都市と地方のインフラ格差を縮め、逆に低コストを武器に地方から競争を仕掛ける時代が近づいている。行政に頼るのではなく、自らの実益性や価値観から、最適な場所で最適なビジネスを興す。そんな彼らには「ヒルズ族」よりも「ノマド族(遊牧民族)」という言葉がふさわしい。引用元

【地方に住むのもいいな】
コストは安い。通勤もラク。自分の時間も持ちやすい。「競争か、さもなくばのんびりか」という悲壮感と敗北感に満ちた“脱都会”の物語じゃなく、♪PC一台、さらしに巻いて〜♪、デジタル遊牧民が地方へゆく。いいと思いますよ。

それというのも「地方に住むのもいいな」という潜在意識がぼくにあるからだ。

ぼくは東京生まれの東京育ち。正直「もう都会はいい」と思うことがある。特にアキバや渋谷を歩くときだ。どちらの町も良いところはある。たがこれが「ぼくのふるさとの東京なのか」と思うと、ため息が出る。若者じゃないし、ノマドというより“脳 Mad”で(笑)才覚も乏しいし。勇気を出せるかわからないけれど。

記事でひとつ指摘したいのは「ノマド族」は誤用。ノマドとは“ノマド・オブジェ(モバイルのデジタル機器)”を扱って、都市内/都市間を移動する知的ワーカーのことで、「地方に引っ込む=ノマド」ではない。

それはともかく移住といえば、ふとサクラコのことを思った。

【サクラコの話】
サクラコは先週土曜日、cherryさんとぼくが野沢温泉のカフェ&ギャラリーhütteに到着して「さてワークショップのお客を待とうね」という時やってきた。

小学校の高学年の知人の娘である。活発というか、こまっしゃくれているというか(死語ですか?)、いろんなことをよく知っていやがる。彼女に毛糸のミサンガの作り方を教えた。最初はあれこれ迷っていたが、やがて自分でぐるぐるしだして余裕がでて、cherryさんのiPhoneでyoutubeの動画をねだり、ビヨンセやガガの動画をかけた。そのうちそらんじている歌を英語で歌いだした。しかもぼくの持ってきた葡萄パンを食べやがった。

サクラコはその日、ギターを付けたロックンロールなブレスレットを作ってご満悦で帰っていった。楽しいヤツだがオサラバだと思ったら、翌日も来やがった。

ぼくのことを「幾つに見える?」と訊くと、実年齢を数才も上に言いやがって「死んだほうがいいぜ」と言うと、ゲラゲラ笑いが止まらなくなっちまった。しかもまたしてもぼくのオニギリを食べやがった。夕方でオサラバと思えば、ぼくらが行く温泉(ふるさとの湯)に一緒に付いて来た。そこには露天風呂があって「寒いから中で温まってから」と言うcherryさんを振り切って、露天風呂にどぼんした。帰り道は真っ暗になので、家まで送って行った。

実はサクラコは東京からの移住組なのだ。引っ越してまだ一年も経っていない。

東京郊外から人口3千数百人の村へ。学校ではイジメがないのだろうか?ビヨンセやガガを歌う子が田舎でフィットするのだろうか?ぼくらになついたのは、ぼくらが東京の風を吹かせてやって来たからではないだろうか?

ぼくはぐるぐるとそんなことを思った。

だが商店街を歩いていると、ある店のオバサンが「サクラコちゃん、こんにちは」、サクラコも「こんちわ」と言った。どこでも子供は生活できるのだ。

一軒家のドアの向こうにサクラコは消えた。名残惜しそうだった。ぼくらもなぜか同じ思いだった。ぼくらのサックサックという足音が雪の夜道に響いた。都会も田舎もアイドルも、ネットを通じれば等距離ではある。だがバーチャルじゃない何かとは、ヒルズでもノマドでもない。豊かなビレッジにあるのではないだろうか。

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