土地の記憶

どうして建物が建つと、元の土地の状態や建物のことをサッパリ忘れるんだろう?


近所の土地に家が建築中である。先月は杭を打ち、年が明けて土台造りをしていた。いよいよ土台も乾燥して、昨日は足場を組んでいた。上棟だ。今朝仕事に出る時に通りかかりクレーン車が木材を吊り上げていた。それから数時間後、夜になってしっかり棟が上がっていた。

今日はポツポツ冷雨も降ったから、さぞや作業はたいへんだっただろう。まあそれはいい。なぜぼくは建築現場を毎日観察していたか。

その土地が元は駐車場だった情景をしっかりまぶたに刻みつけておこうと思ったからだ。

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ぼくが若い頃までこの国は成長時代だったから、どこにもたくさん家が建った。原っぱにも建った。農園にも建った。田んぼにも建った。崖にも建った。道路と道路の間にも建った。古家を壊してはどんどん空に向かって伸びていった。

そのたびに「前にそこに何があったのだろう?」と思うのだった。

はて…駐車場だったかしら。家があったのかな。いや空き土地だったとか。いつもの通学路でも思い出せないときがあった。さすがに隣の改築前の家は覚えている。でもその隣となると不思議にさっぱりと思い出せない。

そのことがずっと不思議だったので、今度こそしっかり覚えてやろうと思ったのだ。

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土地には記憶がある。「その土地に建つ文化財をどう遺し、その土地の記憶をどう遺してゆくか」土地に根ざした記憶を大切にしようという考えだ。たとえば東京駅舎や丸の内ビル、あるいは横浜赤煉瓦倉庫や表参道の同潤会アパートなど、固有の歴史のある土地や建物なら当然そういう記憶をベースに保護されたり再建築される。

まあそんな高尚な土地でも建物でもない。ごく身近なご近所の土地である。ちっちゃな家である。建て替えあたりまえ。古いより新しいのがいい。地震国のニッポン、耐震・免震せにゃならんし。

しかも大屋敷の主が死にかけると、遺産納税という名の資産シャッフルがあるので、屋敷は壊しましょうという奨めに乗らざるをえない。主の死後、屋敷は分譲分割住宅になり、標準という名の個性だけがあるアパートが建てられる。

そう、東京はスクラップ&ビルドの都市なのだ。「地上げ・新築・改築何でもあり」のこの都市は、土地の記憶を大事にしないという点では世界一だろう。それがそこに住んでいた人の生活も記憶しないことだと思い当たったとき、合点がゆくことがたくさんあった。

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いやいや、ぼくは単に物覚えが悪いからかもしれない。昭和の匂いがぷんぷんした古家のことも思いだしたりするから、加齢効果もあるのだ。しょせんは家など影法師、Googleのストリートビューで街も家もキャッシュメモリーに残せばよい。

ただ大ターミナル駅の地下商店街を歩いていると、地上の商業のメモリーも消去してしまうスクラップ&ビルドのこの都会に、死ぬまで住んでいたくないと思いだすのだ。

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