ネット時代の文章家は“ファシリテーター”

今日はJAGAT(日本印刷技術協会)発行の『プリバリイン』で連載する“マーケティング価値校”(2010年3月号)のさわり紹介と、ガラにもなく“わたしの文章作法”についてちょっと。

ちなみに本号の私見的必読記事は、プリバリインタビューの『ジャパニーズクオリティで、世界へ』(株式会社アスカネット 代表取締役の福田 幸雄氏)と、不肖わたしの記事である。慨嘆と“負けないぞ”そして“売れるぞ”をこめた一文なので。

【cotobaのペダル55.ネット時代の文章家は“ファシリテーター”】

ウェブにマーケティングに関する記事を書き出して2年以上になる。これまでざっと100本の記事を書いた。商品やサービス紹介だけではなく、なるべく本質的なことを書こうという想いがある。だが哀しいことに、気合いを入れて書けば書くほど、読者からそっぽを向かれてしまう。「何マジになってるの?」という“反・反響”を感じる。逆に脱力して(かつテーマも旬ならば)大手サイトにも流通して、読者コメントも続々入る。瞬間的に有名になり、すぐに忘れられる。引用元 (プリバリイン2010年3月号


記事のタイトルは『ネット時代の文章家は“ファシリテーター”』。ファシリテーターとは会議や自由発想ミーティングでの“促進役”。聞き役で、時にけしかけて、時に頷き、時にアンチテーゼを吠える。話題をつくり、盛り上げて、参加者のリング・ファイトをけしかけて、収束させずに去って行く(笑)。

ファシリテーターにわたしは100%くみするわけじゃない。なぜなら“活字世代”。活版のように一語一語の重さが好きだから。

【読者志向へのスライド】
昨日(2010年3月18日)ビジネスメディア誠のエッセイ『美人すぎる◯◯』の話は各方面でヒットした。

このエッセイではファシリテーターとして文章を書いた。これがウケると(実は事前に)わかっているが、いつも書けるわけじゃない。テーマが“やってくる”かどうか、読み手視点で書けるかどうか。滅多に降って来ないし、きても流されてしまう、内的なスコール雨のようなものなので。

読者トレンドが見えても、自分の文への誠実さを、とても微妙に(まあ3%くらいかしら)スライドできるか?と問いかけもある。「そのくらいなら」「それ以上はだめ」ふたつの声の掛け合いは、ベースギターとサキソフォンとドラムが上りつめる即興演奏のように、捩れあい、上になったり下になったりして天に届く感じ。

【自分の五箇条】

これまで100編以上の拙なるエッセイを発表させてもらい、そのウラで1,300回以上の駄文を書いた。自分なりにエッセイ作法らしきものもある。書き出して、その途中で悩むときの交通整理である。

1.自分のフィルターを外してみる
書けなくなるときは、自分が前に出過ぎていて、読み手目線を吹っ切ってることがある。そんなときは“客観作業”をしよう。自分は他人なのだ。

2.自分のフィルターを入れ直してみる
書けなくなるときは、自分が奥に入りすぎていて、読み手の眼光が届かないときがある。そんなときは“主観作業”をしよう。他人は自分なのだ。

3.うふふを書こうぜ
読者は論を読みたくない。情感汁を分泌したい。笑顔整形をし、笑い胃炎になりたい。読者を文筆病院に収容すべし。

4.ありえない切り口を足す

最もデッカイ褒めことばは「そうは思わないけれど、おもしろい」。そう言われるために書くのが文なのだ。

5.ラストは気持ちいいか

気持ち悪いラストは気持ちが悪い。「今後を期待しよう」なぞと書いたら引退すべし。

【ご利益をいただいて】
書くことは自分のオリジナリティを見いだす作業。かんたんじゃない。わたしはその周りをぐるぐるしている。なかなか中に入れないから。

ときどき少し入れたかな?と思うときもある。自分フィルターにこだわり、フィルターを洗浄し、笑いで目詰まりをとり、風通しをよくして、「おりてこいよ、ことば。」と祈る。するとひらりとことばがおりてきて。まさにご利益である。


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